昔、空手を習いたいという人の一番の目的は、単純に強くなりたいということでした。特に青少年であれば、ケンカに強くなりたいということだけに集約されていました。しかし現代では空手を始める動機が多様化しているとように思います。稽古生にはシニア、女性、児童たちが以前と比べて増えました。それぞれに目的が違うということでしょう。シニアであれば健康第一。女性なら美容、護身など。児童は礼節、心身を鍛えるなどが一般的でしょうか。
最近の子供たちの日常からは、取っ組み合いやケンカはなくなり、成人になるまで一度も人を殴ったことがないという人も多くなりました。その反面世の中では無差別に人に危害を加えたり、すぐにキレたりする者が多くなりました。たまたま出くわしただけで人を殺めたりする者も出てきました。とにかく物騒になりました。
警察も何か事が起きないと動いてくれません。自分の身は自分で守らないとならないのです。外国人労働者も増えています。差別するわけではありませんが、日本人と彼らでは物の考え方、価値観が全く違います。日本人と同じ接し方では様々なトラブルも想定されます。もう日本でも安全と水はタダではないのです。
大山倍達総裁は、空手の修行は鞘に収めた刀を磨くものだと言われました。
何か一旦緩急あれば、いつでも刀を抜けるようにしておかなければならない。ただ一度も抜くことがなければそれに越したことはないとも。
あなたもいざという時のために、鞘の中の刀を磨きませんか?まずは段階的に身体を鍛えましょう。素晴らしい人格や人間性は厳しい修練の後に芽生えるものだと思っています。
空手で培った技術や精神は必ずやあなたの人生の糧となることでしょう。